2011年12月5日月曜日

サイレント・ウォークでは喋ってもダメなのか、等々の質問をいただきましたので

発起人・おぎのです。

サイレント・ウォークって、小さな声でしゃべってもダメなのか、という趣旨の質問をいただきましたので、お答えします。

そのあたりについては、当日もオリエンテーションでお話する予定ですが、まず、小さな声でしゃべってもダメなのか、というのは、いやべつに、そういう意味ではありません、とお答えします。(ただし、これを機会に何かに勧誘、的なのは勘弁してください。)

そもそも、小声でも喋るなとか、そこまで強制する権利など発起人にまさかあるわけもないわけでして、ただ、今回は、ある意味、被災によって亡くなった方の追悼の意味もありますので、大声でしゃべったり、どなったり、歌ったり、というのは、ご遠慮いただければと思います。

とはいえ、同時に未来への祈りや希望も共有したいという趣旨ですので、必ずしも神妙に下を向いてしーんと歩く、というものでもありません。どう説明したらいいのかよくわからないのですが、とにかく、普通に歩く、ということです。

また、今回は、なにかの団体のアピールや抗議を目的としたものではなく、様々な意見や立場の違いを乗り越えて、よりよい未来のためにみんなでこれから協力し合っていきましょう、という趣旨なので、シュプレヒコール(「はんたーい」とか「なんとかしろー」、といったような、ああいう呼びかけというか、合唱のようなもののことです)もなしでお願いしたいと思います。

なお、「原発反対」とか、そういうのはないんですか、という質問もいただいているのですが、それは、それぞれにとっての3.11ですので、発起人は、「これを考えてください」的なことは、一切、つけないことにしています。また、参加する方も、それぞれの3.11を持って集まるわけですので、他の参加者に押し付けたり、そういうこともしないでください。3.11では多くの方が亡くなっています。隣にいる人が、近しい人を亡くした方であってそのことを胸に歩く、ということも、もしかしたらあるかもしれません。なにを胸に歩くかは各自の自由です。そういう自由をお互いに認めあいながら、同じ方向を向いてひとときを一緒に歩く。そういう趣旨です。

ですので、もっと主張したほうがいいのではないか、とか、自分はこういうことをいいたいのだ、とか、いろいろご意見はあるのですが、それはまた、各自で別の場でお願いします。また、こうしたほうが効果的では、的なご意見もいただいていますが、今回はとくになにかの効果を狙ったものではありません。ある種のシェアリングですので、その趣旨にご賛同いただける場合にご参加いただければと思います。よろしくお願いいたします。

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